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ネパールワークキャンプの学生諸君へ
2018.05.26

ネパールワークキャンプの学生諸君へ。

君たちは3週間、私は1週間で帰国、序の口で逃げ出したような申し訳ない気持ちです。だいぶ足を引っ張りましたね。73歳にはアップダウンの植林地めぐりはちょっときつかったです。孫たち学生諸君の介護?やさしさに心から感謝します。

時々の停電は続いているでしょうね。目や耳にへばりつくようなほこり、飲み込まないように細心の注意をしながらの冷たいシャワー。痰をはくと真っ黒でした。
うがいをしても水を飲みこまないようにね。

夜中にも鳴っていたダンプカーのクラクションの音。爆睡の君たちには聞こえないかもしれませんね。
ムッとした暑さの夜明け、まとわりつくような汚泥の悪臭の中での朝。
砂塵と喧騒、車が通っても平気な顔で道路に寝そべっている牛。ホテルの前にうろつく犬たちに噛まれたら大変ですよ。噛まれたら即刻強制送還ですからね。

君らの居るバネパは、ネパールでは、50番目ほどの中都市。首都から東へ約30キロ、チベットを結ぶ幹線道路に近い町です。
開発に従事する労働者で膨れ上がった町です。街道を行き来する物資の交流の場所です。

諸君の先輩でもある、写真家の公文健太郎さんは、バネパの町の写真集『バネパ ネパール 邂逅の町』のあとがきで、
「屋根の上に並んだコンクリートの柱の先から、むき出しの鉄筋が空に向かって突き出している。お金がたまったらいつでも建て直しができるようにと、最上階の仕上げはいつも後回しになる。大通りの脇の土の路肩には、雨が降ると家畜の糞と生ゴミが混ざった泥の水たまりが連なり、乾くとバスが通り過ぎるたびにその泥が白い砂塵となって舞い上がる。斜めに傾いた電柱には、グルグルと黒い電線が絡まって乗っかっている。中にはその端がふらふらと宙に浮いているものまである。」と描写し、その「ほころびだらけの風景」が、「出会えば出会うほどに、そこにある風景が瑞々しく活きたものになってきた。」と述べ、「人々のつくりだす生きた瞬間との出会いを通して味わい深い「つぎはぎの風景」へと変わる。この街に広がるつぎはぎ模様の面白さに、僕は飽きることがなかった。」と記しています。

私は短期間過ぎたのかもしれません、「つぎはぎの風景」の面白さに魅かれるまでにはなりませんでした。しかし、ここに私たちの忘れていた<生きた瞬間との出会い>のような肌触りは感じました。それは私の人生で初めての感覚でした。

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帰国、2日後、池袋の東京芸術劇場に、「BOAT」という芝居を観に行きました。天才と評判の藤田貴大演出です。随所にこだわりのある見事な演出でした。
主演の宮川氷魚は男性ファッションモデルとしても活躍していますね。いい芝居でした。人間がどこから来て何処に行くのか。ノアの箱舟のような脱出劇でもありました。差別の重いテーマも盛り込まれていました。流れるようなリズム感、おそらく劇評は大きな賛辞をこの芝居に向けるでしょう。新たな演劇手法の方向性があるのかもしれません。

冷房の効いた快適さの中で私は無味乾燥状態に置かれている自分に恐怖していました。どうしようもない空虚感が観客席の私をとらえて離しません。
帰国2日後だったからでしょう。私はこの空虚感に慣れながら<日本>に戻っています。しかし忘れてはならないものが、瘧(おこり)のように、瘡蓋(かさぶた)のように身についていることはたしかです。「ナマステ」忘れてはならない声がするのです。

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私がくたびれて、午後の植林地めぐりをさぼり宿舎にいた時です。中学生の女の子が3人で君たちを訪ねて来ました。片言の英語同士の会話です。でも彼女らが、昨年やってきた学生の名前をはっきりと叫んでいるのはわかりました。「○○さんは来てますか。○○君は元気ですか」黒い大きな瞳が私を見つめています。

ネパールの瞳です。君らはきっと今頃、学校で日本紹介や、科学の実験や、ソーラン節のダンスを披露しているのでしょうね。小学生や、中学生に君たちが夢のメッセージを届けていることはたしかです。そしてネパールの子どもたちの瞳が君たちに送ってくれた賜物も大切に持ち帰ってください。


丘の上の小学校を訪ねた時です、広がる芝生に長い棒で羊を追いかけ日傘をした無表情の女性がいました。気持ちのいい日でした。緑の草を羊たちが何頭も食んでいました。
「何処へ行くんだね。学校だね」彼女は顔をほころばせながら、手を合わせ「ナマステ」とあいさつしましました。もちろん私たちも手をあわせ「ナマステ」です。それはいつか見たパリの郊外の森を題材にした、ルノワールの名画「日傘をさす女性」のシリーズとは比べようのない何倍も美しいものでした。

小学校から少し上に上った所に大きな菩提樹の木がありました。木陰を求めそしてその大きな木を囲むようにヒンズー教の神々の社がありました。私は祠の中の神々が日本の仏教信仰の源を語るように酷似していることに夢中でした。何千年もの間多宗教多民族の国家であったこの国は、寛容を前提にしながら共存してきたのです。それは類まれな多民族・宗教の共存国家でした。ネパールは平和を愛する国です。

将棋のような遊びはありますかと聞いた時です。中国将棋のようなものがあるのではないかと思ったのですが、一般的に勝ち負けをはっきりさせるようなゲームはないそうです。よくやる遊びでは、四隅に虎を置き、それを封じ込めるように羊たちが盤上を囲む遊びがよくやられているそうです。武闘的なスポーツもないようですね。

菩提樹の下で大きな声がしました。O先生とかって少年だった青年との何十年ぶりかの劇的!な再会があったのです。

「あなた小学生だった○○君」
「日本人が村に来ていると聞いたので来てみたのです。お久しぶりです。」
菩提樹を囲み村人との歓迎の輪が広がります。もちろん偶然の出会いの中です。

自由学園のネパールでのボランティア活動が来年30周年を迎えます。小さな松の木は大きくなりました。胡椒は商品作物としての役割も果たしています。少しでも村の生活が楽になればと云う思いからです。乾季に今も役立っているため池も作りました。木陰に築いたサークル型の休憩ベンチ「チョータラ」も各所に作りました。雲の間から見えたマナスルも忘れられません。

しかし何といっても自由学園がこの地にもたらしたものは、人の結びつきです。否、自由学園がもたらしたのではありません。ネパールの人からいただいたナマステの精神なのです。

植林計画の打ち合わせで村を訪ねた時です。入り口まで迎えに出てくれた長老から、額に赤いティガを塗られた時です。長老の両手の合わせ方が、私たちの手を合わせる行為と少し違っているのに気がつきました。日本人の多くは平たく隙間のないように手を合わせて祈ります。ネパールでは両手を包み込むようにして祈ります。まるで卵を包むように手を合わせるのです。小鳥が逃げ出さないように手の甲を膨らませて祈るのです。

ネパールで私は小鳥になったのです。

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週末、「日本と東アジアの<環境文学>」と題した国際会議に出席しました。

私は第一日の基調講演で日本の江戸時代の紀行文学作品の新たな読みを環境と云う視点から読み直してはどうかと云うようなことを述べました。コロンビア大学のシラネ教授は日本の四季と第二次自然の成立と云ったような発表でした。これに導かれるように前半は庭園論などに論議が集中しましたが、翌日の会議の後半では、環境を人間の側からばかり見ているのではないか、又その人間中心の文学が見失ってきた視点に目を向けるべきではないかと云う議論でした。

去来したのはバネパの街です。あの風塵や汚臭は近代文明の残滓なのです。プラスチックやビニールの山は、人間中心の世界観が産み落とした先進国の開発と云う名の汚物なのです。

もう30年近く前だ。哲学者イヴァン・イリイチが行った、ローマカトリックを文化帝国主義と名指して批判したことや、効率性を追い求める近代の技術革新の陥穽への鋭い指摘や、先進国の開発援助がもたらす後進国への源罪性のことなどが、走馬燈のように断片的知識の中で浮かび上がった。

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器が持てないくらいの熱い甘いミルクティ<チア>には慣れましたか。ヨーグルト「ダヒ」の味をもう一度味わいたかったです。目を回すくらい安価なネパールマンゴーもお腹一杯食べて帰ってください。あれはお腹を下す心配はなさそうです。あと一週間ですね。疲れもたまったでしょう。風邪ひかないようにね。

そして、29年目の<使命>と云う言葉もかみしめてください。誇り高き自由学園最高学部学生のネパールワークキャンプにエールを送ります・・、とはいえスマホもパソコンも見ることの出来ない諸君にこの手紙が届くのは帰国してからですね。

帰ったら、秋津の立ち飲みロードあたりで一杯やりましょう。冷たいビールがいいかな。やっぱりコップで冷やで奴にしましょう。無事の帰国を待っています。

2018年7月31日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)


 
 


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